【健瀧ゼミナール 062】『御茶を淹れるということ』(陰陽五行流・煎茶術「茶は生の術」)
まずは、湯冷ましの中に湯を入れ、その中の湯を宝瓶の中に入れる。 そして宝瓶の中の湯を煎茶茶碗に入れる。
次に、煎茶茶碗の湯を湯冷ましに返す。 この行為が茶葉を宝瓶に入れる前の作法であります。
この作法は茶葉を入れる前の、湯による茶器への禊の儀礼(清めの作法)であり、茶器を温める方法です。
この行為を見ても、まさに自然界における、水が地から蒸気として天に昇り雲となり、天から雨として降り下り、水は地に帰り、また水は地上の熱により気化され、蒸気として天に昇る。
この蒸気が天地に昇る姿を、古代中国の道教を修行をしていた仙人が、神山から眺めていたら、地上から蒸気が山を越えて天に昇ってゆく、その蒸気の流れが仙人の眼には龍に観えたのであろう。
これを仙人は昇龍と呼んだのです。
その龍は天に昇れば雲となり、仙人の神眼には大空をダイナミックに流れていく雲が雲龍として空を飛んでいる姿に観えたのであろう。
その龍はやがては地に天下り、天から地に降る雨となったのです。
だから龍が雨を降らすという説が生まれてくるのもよく解るのである。
まさに水は、縦に天地間を循環する物の象徴といえる。
この道教的な世界観から、日本の神道の天津神と国津神が創造されたことの所以ではなかろうかと、私は考えます。
従って天を「あめ・あま」と呼んだのであろう。
その水は地から天、天から地と動きながら循環しているので、いささかも濁らない。 まさに清らかな聖水である。
この聖水が天地間を循環し、その縦に円を描き巡る水は、まさに万物を洗い清め、禊いでいる様を表している。
このダイナミック水の世界は生きとし生けるものの全ての命を生かしているのである。 まことに不思議で妙如な世界であります。
その御水を授かりまして、茶を生かし淹れる術を私は、陰陽五行流・煎茶術「茶は生の術」と呼んだので あります。
この一連の行為の作法を持っても、茶を淹れるということはどういうことか?
只、このように茶の淹れ方を自然のいとなみに敬意をはらい、天地万物の恵みに感謝をしながら感性や感覚で感じ、思考することで、茶を淹れる行為の中に生きとし生けるものの祝祭と歓喜を見い出す世界観は、自然と人との「共生・対話・調和・美」の世界であります。
まさに生きとし生けるものすべてが調和する生命の祝祭の世界なのであります。
それが陰陽五行のダイナミックなコスモロジーであり、陰陽五行流・煎茶術「茶は生の術」の理念であります。
だから、御茶を淹れることで、老若男女の病む者すべての心身の気が、病いからほどけ、柔らぎ、癒され、和み、寛がれるのです。
どうぞ、皆様この陰陽五行流・煎茶術「茶は生の術」のご支援を宜しくお願い致します。
茶を淹れ戴く時に、人はあらゆるしがらみから解き離れ、癒され、和み、寛ぎの至福の一時を味合うのであろう。