【健瀧ゼミナール 025】 生きとし生けるものの祝祭と環
年中行事や、このお盆の送り火も、陰陽五行で説けば、五気の四季循環の火気でつくられる夏であり、その火の気で祖霊を迎える迎え火、またその祖霊を火の気で送る送り火なのです。
当時の日本も、弥生時代から中国の道教の影響はあるとは言え、これも縄文からの人々から現在までの祖霊たちの祈りの姿を私は思い、感じざるおえません。
それも様々な人生を営まれた方々の魂たちを思えば、何故か、涙が出てきて止まりません。私には祈ることしかできません。
その生命の繋がりが現在の日本をつくって来た、我々の祖先や両親から自分が生まれ出て来たのかと思えば。まことに何とも言葉では表せない、まことに魂への祝祭と感謝として祈らざるおえません。
それは縄文以前からのあらゆる生命や縄文の人々が、この日本列島の島国で命がけで天災とも闘い、自然や気候風土と共生し築いた自然崇拝から文化が、われわれ日本人の血に流れているのです。
その真実を尊さを、われわれ日本人は決して忘れてはなりません。
いや地球が生まれてから、生命が誕生してから、日本民族が生まれてからの命がけで、生きて来られた生命を繋げてきた、その尊厳性に対しての日本人の魂、言霊からの生命の祝祭と命の環がここに在るのです。
このお盆が過ぎれば、お盆を暮らしていけば、秋の気が本格的にやってきます。
そして、稲穂も実り、収穫の秋がくるのです。まことは、日本人はこの四季折々にあらゆる生命の風景を観て、また旬に咲く花を慈しみ、旬に獲れる食物の生命に手を合わし、感謝して味わい、頂きます。
あらゆる生命とその環を祝い、祭りを行って来たのです。それを私は「生命の祝祭と生命の環」と呼んでいます。また、「森羅万葉の心と美」とも言っています。
それは言葉を越えた、祈りと言霊が、私は生きとし生けるものの、世界や日本の、まことの生命の環の世界をつくることになるのではないかと思っております。