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世直し日誌「多治見の母子と涙のシンクロ」

私は美濃焼・織部の本場である多治見に来るの今年からですが、三回目になります。
 

JR多治見駅を降りると、ここが美濃焼きの町という風情を感じさせる光景は、残念ながらまったくありません。いまはどこに行っても、街の景色は近代建物ばかりがあり、また画一化した建物がずらりと並んであります。


前回は8月頃に寄った時に、気に入った窯元を訪ねるのも、醍醐味 があり楽しいのですが、別に多治見の面白いのは、オリベストリートと称するものがあり、その両側には美濃焼、織部焼のお店が並び、また骨董品屋さんや古美術商のお店が並んでいます。


それを、私は好きですから片っ端から見ていきます。最近、特に煎茶の茶器を隅から隅まで見ながら、探していきます。

その時に古そうな、大河古美術商というお店に入ると、備前、萩、信楽と宝瓶のセットが破格の値段で有る有る。安いので買いました。
 

後は織部の建水、備前や中々手に入りにくい、万古焼の急須、と湯さましを数個や織部の煎茶湯のみのセットを買いましたら、奥さんが負けてくれました値段より、御主人それよりも負けて下さいました。


思想やお話しが会ったのか、いつものシンクロが起こり、昼食を近くに美味しい鮨屋が有るからと、連れて行って下さりました。


そこでまた、美濃焼きのお話しをして下さり、そのご主人は古美術商店の他に、民間の美術館を営業されており、江戸の人形の数は300個ぐらいはありました。


それに私は遠慮をしたのですが、お鮨のランチもご馳走になりました。私も縄文から、神道の話をしましたら、大変気に入られたようです。こちらで、セミナーもやって頂きたいとも、言って頂きました。

前回にご馳走とお世話に成りましたお礼に、私はあの古美術商と民間の古美術館を営われている、O館長を訪ねることにしました。
 

心ばかりのお土産を持ち、訪ねました。そうすると奥さんが出られ、まあ、「この前はいろいろと買って頂きたい有り難うございます」と挨拶をされ、私は、「いや値打ちの有るものを安くして頂き有り難うございました」と私も挨拶をしました。
 

「今日はご主人はおられますか?」とお尋ねすると、「朝の内は隣の町まで用事で行って、さっき帰って古美術館の方へ居ります」と言われ、呼んで頂き、車で来られました。


「よう、またおいでなされた。 この前の縄文や器と人の生きる術の話は、大変勉強になりました。その話をあれから、懇意な人達に話しています。それに、伝統を残していくのは、幼い頃から伝統文化の話や体験をさせながら、育てていくということと、小学校の総合学習に美濃焼きを随時体験させ、美濃焼が何を意味するのかまで、考えさせていくことが、その地に生まれた生の教育(術)であり、子供は素直ですからね。
 

 それが子供たちに、伝統意識や伝統思想と家族意識を育てることになっていくのです。折角、先生がおしゃったので、早速地元の教育委員会や小学校に話をしてみます。それに、子供たちが家に帰り、その美濃焼づくりの話を親や親族に話すようになり、また、親が子に連れられ、地元・地産の美濃の、お土を親子で練るということに成ってくると、昔のような親子の共有する心が生まれてくるのではないですか?」


「日本の舵とりの云々を今、話しても仕方がないのですが、前後日本の最大の失敗はそう言うことです館長。日本の最大の損失は戦後は欧米の民主教育という勘違いのモンスターに飼い慣らされ、また、一部の日本人左翼)はそれを求め、物・金・フリーセックスの快楽主義に乗って行ったのです。そして気がついた時は、核家族・家族意識の断絶、伝統教育・歴史感の喪失、職人文化の崩壊、公害病の発生、農業の犠牲化、自然破壊、環境破壊・・・・・です」

と話をしていくと、


「先生は一体何者なんですか?」と館長が私に聞かれてきました。


「昔から行くところで、よく、そう聞かれるですよ。以前はまあ、風のようなものですかね」と答えていました。
 

それもよく考えてみれば、私にとっては、ちょっとキザなのが?とも思ったり、まあは風水もしていますので、風でもいいか? やっぱり、最近は思想家と言った方が自然なのか、そう言っています。

話しも落ち着いたところで、「前回にこちらに来た時に、私が目に着けてた、外に鰻の臭いがたまらん人も次から次へと入って行った、そこの大きな川を渡っていった中道の鰻屋ですが、どうですか?美味しいですか?」と私が主人に聞けば、

その主人は 「いや先生、うちの古美術店の方の、ほんの近くにも鰻の有名ない美味しい店がありますよ。」とおっしゃった。
 

しかし、「私は根っからの食いしん坊ですから、いや、迷いますなぁ~。迷った時に今日は、どちらが自分の欲する鰻屋かを当てる術がいろいろと有るのですが、今日はシンプルな技をお見せしますわ。」

私は早速、定に入った。こうなると私の心はいささかも、邪推しない。それで後は純粋に気を感じるままに、素直に選ぶことである。


私の悪い癖で、また、図にのって、今日の気の数字盤と時間の気の数字盤を、私の脳裏に描き、その店で起こる事象を読んだ。


そこで主人に私はこう言った。「今日は川を渡ったお店が私の欲する味の鰻屋さんですな~。それに、そこの店に行ったら、お店は人がいっぱいで少し待ちますよ。


それと、多分、相席に成って、我々が先に座り、後に「母子」が向かいに座ってきますよ。そして凄いシンクロおきますね。」と私は言うと、


すかさず主人は、「血の気が引いた顔をして、先生はシンクロすることも予見が出きるんですか?先生は本当は何者なんですか?何かの行者さんですか?」と聞かれると、


「私は本当も嘘もありませんよ。兎に角、その店の美味しい鰻を食べに行きましょう。もう昼は一時半ですよ。」と私は言いながら、久々のイタズラをしてしまったと一方では後悔をしながら、鰻屋さんに向かったのであった。

私とO館長はその鰻屋さんに向かった。
 

鰻屋さんに着くと、やはり満室ではあるが、鰻屋さんまで歩いて、10分ちょっとかかった。そこまでに渡らなければならない橋がある。
 

その、かなり広い一級河川と思われる橋を渡りながら、私はふと浮かんだのである。


私は人気のある忙しいお店に行くと、食事だけではないが、喫茶店や他の店に行っても、よくある現象である。 それは一つのテーブルだけが空いてあり、不思議に待たず、私が座れるということである。


と思いながら、その前に気を読んで館長に予測をしていた、我々がテープルについた後に母娘の二人が我々の向かいの席に座るということである。

着いた鰻屋さんの格子戸を開けてみる。そうすると、向かって真ん中に、四人座りのテーブルが四つか五つだが、満員である。

両脇の左は畳で、四人座りの座卓が三つか四つも満員であり、 右にある座卓の六人座りの座卓は五列あり、ここも人がいっぱいではあるが、よく見れば、手前の一列とその後ろの一列の座卓が空いていた。


私は喜んだ、空いてるじゃないか? しかし人は一人も待っていない。私が気を読み間違えたのか?ガックリときてるところで館長は、

「​私は先生とお会いするのは二回目で、最初にお会いした時の話では先生は哲学の先生か?思想家の先生と思っていますが、先程から、占い師のような予言にしてみたり、鰻屋に着いたら人はいっぱいで、少し待ち我々が座ったの向かいに、母娘が座って来るとか?先生、何も当たっていませんじゃないですか。話を聞いているとおかしい話ばかり、先生は、まさかオームの残党や統一教会の幹部じゃないですよね?私を狙ってるんじゃないですよね?」


と館長は本気な顔をして、私に語った。


私は「いや、どうですかね?」と言うと、会長は今度は私の顔を見て、血の気が引いた顔をして、先生と言うから、こりゃあ~いかん、館長は起こってとうとう帰るのかなあ?と思うと、


我々は待合の椅子に座っているんですが、先生、今お客さんが戸を開けて帰って来たようで、空いている前の席に三人が座りましたよ。 先生が言ったように、本当に座卓が一つだけ空きました。


そうするとお店の女将さん風の方がやって来て、相席になるかもしれませんが、そこの空いてる席にどうぞと言われ、我々は座りました。

館長は青ざめた顔で、静妙な口調で私に、「先生予言どうりに一つの空いている座卓に座りましたよね。これは偶然ですよね」と言われた。

そうすると、図にのって私は、「どうですかねぇ?」と不気味に答えた。


すると、入口の戸が開き、誰かが店に入って来た。 館長と私は目を会わすように、一気にそちらを向いた。気を読んではいる確信はあるが私は内心、外れないでくれと無意識に一瞬、祈った。


入って来た人は、50才前後の女性に見えた。あっ、良かったお母さんが入って来たと思った。私はホッとして館長の顔を見ると、目は点になっている。 安心して「館長!」と声をかけた。


すると、「先生、娘は入って来ませんよ。お母さんのような方は偶然ですよね」と私に言った。


「うむっ 」と声が出た。「先生、冗談はもう止めましょう。先生の本業は一体何ですか?」と私に館長は聞いて来た。


「あのっ」と私はいいかけると、こちらに迫ってくる足音が聞こえてきた。私は空かさず、耳を澄ませ足音に集中をした。この足音は一人の足音ではない。そう思った瞬間に、「先生、母娘のようではないですか?いや、そんな馬鹿なことはない。他人の職場関係ですよ」と館長はブツブツと言っている。

やはり、私達のテーブルの向側に座って来た。

そうすると、年輩の女性が、「すみません、相席をさせてもらってもいいですか?」と言われた。

二人は「どうぞ」と声は妙にシンクロをした。私のお互いに顔を見合わせた。宮崎駿さんのアニメはいいね。とか二人の話が始まった。次は平山郁夫さんの日本画もいいわよね~と話をリードするように、年輩の女性が語っている。


その話を娘は聞いて、あまり感想を言わずに、只うなずいているだけである。


我々二人はあまり話をせずに、二人の話に夢中に耳を傾けてのであった。妙な状況になってきた。


気配を感じた私は早速、「失礼ですが、本当に宮崎駿さんのアニメも、平山郁夫さんの日本画も同じようなアイデンティティを感じますよね~」と話し掛けてしまった。


またシンクロが起きている、やはり母娘と思った私は、心が解放して、


「いや、平山郁夫さんの弟、お二人と話をしたことがあるんですよ。特に下の弟さんは広島県の尾道市に吸収されましたけれど、因島の隣の島で生口島という島があるんですが、そこに平山郁夫美術館があるんですよ。私が行くと三男の弟さんが館長をしているんですが、受付の方に小中ですが、居られましたら館長を呼んで頂けますかと言ったら、私の顔も覚えている方もおられますが、呼んでくださり、居られましたら必ず、いや、小中先生よう来て下さいましたと言われ、いつも微笑みながら出て来られます。」


いや、また自慢話をしている。

「平山郁夫さんの美術館もそうですが、生口島に昔からある、西の日光と言われる耕山寺という華麗な寺があるんですよ。西日本では結構、有名ですよ。その耕山寺を修繕と改修工事をする時には、私がその景観やレイアウト、プロデュースをさせてもらたんですよ。 平山郁夫美術館に行くと時には、是非この寺に寄られて下さい。他の寺にない魅力がありますから。」
 

と、ああ、いかん、いつものおしゃべりの癖がでてしまったと、一瞬、脳裏を過った(よぎった)。


私は慎もうと思った。 その一瞬、間髪入れずに「お母さん、そこに行きたいわ、是非、行きましょうよ。平山先生の生まれられた故郷でしょ。私、とても興味があるの?それにそんな綺麗な魅力のある寺があるんですから。」と彼女は初めて口を開いた。


それを聞いた、隣の館長は、間髪入れずに、「ええ、あなたは娘さんなんですか?」と言った。 その館長の言葉を聞いた私は、咄嗟(とっさ)に、場の雰囲気を読み、「館長いきなり、それはなんですか?何の前置きもなく、娘さんですかとは?すみません、館長は素直なかたですから、思ったことがつい、言葉に出るんですよ。」
 

ここは違和感を生じないように、私は気を使った。


「いや、館長も芸術が大好きで、この地元の多治見で、古美術の美術館がを営まれておられるんですよ。それに慈善事業がお好きないい方です。」


そう言いながら私は、母娘であって良かったと、やっと安心したのであった。


館長の顔の様子を伺うと、まあ私が誉めたもんだから、あの緊張した四角四面の顔が、まあ、にこやかにほころんでいること。
 

「この単純やろう」これは、私の一人言です。


そうすると、「そろそろ、メニューを頼みませんか」と、そのお母さんは言われた。


いや、なんとこの雰囲気は今日に中々無い。いつか昔にあったような、時々田舎に行った時にある、あの雰囲気である。

他人様とお会いして、私はまだこう雰囲気を、行くところで、お陰さまで、時々、味合うことが出来ますが、客観視して、今日日は見知らぬ場所で、他人様とこういう雰囲気になることは出来ないのではないかと思った。
 

まさに袖すり合うも多少の縁である。

話し込んだので、少し遅れてメニューを頼むことになった。

メニューを見ると、鰻重から鰻の定食まで何種類かある。その他、肝鰻の白焼き、酢の物、アラカルトまで結構ある。美味しそうな日本酒も何種類かある。


そろそろ、私の食いしん坊が騒ぎだしてきた。館長は、不思議そうな顔で私を見ている。それは、仕方があるまい。私が気を読んだ通りに母娘が後からやって来て、我々のテーブルの向かいに座ったのだから。


これで私が読んだ気は、一応全部当たった。一安心、一安心。 さあ、これで旨そうな鰻が食べれると思った。


最初に娘さんがメニューを頼んだ。「私は、鰻定食をお願いします。」するとお母さんも、「私もそれにするわ。」次に、館長と私はお互いに顔を見合せ、「館長どうぞ。」と私が譲れば、「いや、先生からどうぞ。」となった。


「先生は気を読まれるとかおっしゃいましたが、安倍晴明のご親戚ですか?」と、前のお二人には聞こえないように、微かな声で館長は私につぶやいた。


とうとう来たかと思いながら目の前を見ると、娘さんの頭に二匹の邪気がとまっている。


何だこれは。空かさず私は目を閉じ定に入った。そして真言密教の修行で得た、法術の護身法(ごしんぽう)を修した。

この護身法は、邪気や悪霊、化けものから身を守る法である。私の身体だけではなく、館長の身体も守るように、館長にも護身法を修した。その時間は、数十秒の世界である。この二匹の邪気は、何なんだ。娘さんは頭をやられているのだろうか?
 

「先生、選んで下さい。」と、館長が気を使ってくれている。


私は、「娘さんと同じ鰻定食にします。」と言うと、館長も「私もそうします。」と言った。


結局、四人共同じ鰻定食を注文することになり、和やかな空気が四人を包んだ。


あえて私は、先程娘さんが鰻定食を選んだことに自分の気を同調させ、その邪気の因果関係を気配で感じ取ることにした。

すると、何だこれは。「うっ」私の意識と思考が分裂をしていく。これはまずい。私は、即座に同調をさせていた自分の気を外した。これでは、私は危ないと思い、もう一度護身法を自分に修した。

邪鬼と同調しては危ないので、同調をさせていた気をはずして、私はもう一度、護身法を自分に修した。
 

しかし、この邪鬼は何なのか? 邪鬼は時々観えるので、そればかりに気を捕らわれると疲れるから気にしないようにしているが、何んだか気になってしまう。


そう思っていると、「うん、美味しい鰻。どう?ナオミ。」と、お母さんが娘に聞いている。「中々、美味しいなあ。」と、館長も無邪気に鰻を味わっている。


この何とも穏やかに食事を囲んでいる雰囲気に、私の気持ちは解かれた。


「先生、お酒は頼んでないですが、頼みましょうか?」
「いや、昼なのでいいですよ。」
「まあ、固いことを言わなくても。呑めるんでしょ、先生。」

と、二人の会話もまた和やかな雰囲気であった。


その時、娘さんが、「先生は、呑みません。」と、館長に答えた。


「何てことを言うの、ナオミ。」と、お母さん。次にまた娘さんが、「私は統合失調症なんです。」と、娘さんはいきなり言ったので、みんなは唖然とした。


一瞬にして、この場の気は変わった。呆気(あっけ)にとられ、誰も返事を返さないので、私が咄嗟に、「ああ、そうですか。」と、静かに答えて会話を続けようとした。
 

「先程から、お二人の会話を聞いていましたの。先生は、哲学や心理学や気も解るんですよね。私は芸術をやっているの。みて下さる?」そう言われた私は、思わず涙ぐんだ。


その様子を見て直ぐに察した館長は、「先生は、何でも解る方なんですよ。」と、一言ゆっくりと真顔で言った。館

長のこの取り成し方を見た私は、中々の人生経験をしてきている人なのだなぁと、思い入った。


先程までのこの場のあの和やかな雰囲気は 、一体何処へ行ってしまったのであろうか? もう既に一遍してしまった。
 

しかし、原点に帰って冷静に考えてみれば、最初に私が気を読んでいた通りのことが、今現れて来たのだと思った。
 

この現象は、何を意味しているのだろうか?これからクライマックスが段々とやってくるのが見えるようである。
 

「先生、私の描いた絵を見て下さい。私は皆さんと対話をしたいの。その為に絵を描いて表現をしているの。それに今の社会は、皆さん、我がままになって来ているでしょう。私は、気づいて欲しいの。何が大事かを。そう思って、私は描いた絵を通して皆さんに語っているの。」と、娘さんは語るのであった。
 

次に娘さんは、私にスマートフォンを見せて、「この絵をどう思いますか。」と、聞いてきた。


私は無意識に涙していた。


また、それを察するかのように館長は、「私にも見せて貰えますか?」と娘さんに言った。そうすると娘さんは「先生がじっくり見られてから、見て下さい」と答えた。
 

私が涙していることへの間の取り方といい、細かい配慮がさすがだ。この館長の愛情は只者ではない、彼の人生観がじわっと私に伝わってくる。
 

これは一瞬の出来事だけど、私はホッとしてその絵をじっくりと見た。
「え、この絵は何だ?」

(続く)

 

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